齋藤孝は、メディアにも登場している教育学者であり、明治大学文学部教授であり、『声に出して読みたい日本語』など多数の著書を出している。
一見、さわやかな風貌でありながら、若い時は、辛い孤独を味わいつくしたという。
受験に失敗した十八歳から、明治大学に職を得るまでの十数年間は、暗黒時代だったそうだ。
自分は特別なんだという若者特有のとんがった精神で、ベートーヴェン、モーツァルト、ゴッホ、ミレー、ゲーテ、ドストエフスキー、ニーチェなどに耽溺し、より孤独を味わっていたという。
そもそも、私がこの本を読もうと思ったのは、作者が若い時にゲーテ全集を買って読みふけり、自分は特別なんだという一種の悦に入った若者の気持ちになぜか共感するものがあったからだ。
本を読むということは、一見孤独のように見えるが、死者との対話であり、気に入った著者の本を読むと、著者が自分を気に入ってくれているような気持ちになるのだそうだ。
こうみると、読書は孤独どころか、著者(場合によっては死者)との深い交流だと言える。
昨今はSNSなどで常に誰かとつながっている状態だが、一冊の本さえ手元にあれば、他人がプイといなくなろうとも気にすることもなくなるんじゃないだろうか。
スマホはいったん横に置いて、一冊の本の中に入ってみると、SNSのつながりでは到底得られない作者との深い交流を持てて、落ち着いた満足感に浸れる。
孤独である喜びが分かってくるだろう。
もしかしたら、孤独とは真逆な娯楽でさえある。