人を喜ばせると自分も喜べる
誰かを喜ばせることは自分も喜びでいっぱいにする。
どんなに小さな事柄でも人を喜ばせることができると、わたしたちの両手も心も喜びでいっぱいになるのだ。
『超訳 ニーチェの言葉』 白取春彦 訳 より
前に書いた、不機嫌な老人は誰にも役に立っていないからというのと同じ原理で、人の役に立っていることが、喜びになるのは、凡庸な人でも、ヤクザでも一緒だ。人間の本能に組み込まれているのだろう。
ビジネスに置き換えても、人に喜ばれるビジネスは、大きくなっていく。収入も、それに比例して大きくなっていく。喜ばされた人が、喜んでお金を出していくからだ。
日々の接客業に置き換えても、慣れた仕事を機械的にこなすことももちろんできるが、お客様に丁寧に心をこめて接すると、たとえお客様から無反応であろうと、仕事が楽しくなってくる。
鬱の人を治す方法として、驚いた方法がある。それは、
「1日10回、人を喜ばせること」なのだそうだ。これは特効薬だと思う。
そもそも、自分のことばかり考えているから鬱になるのだ。それが、どうやって人を喜ばせるか考えていると、自分のことばかり考える余地が無くなる。人は、一度に1つのことしか考えられないので、どうやって人を喜ばせようかと考えている瞬間には、自分のことはどうでもよくなっている。試してみるといい。
「そんなこと無理だよ」という声も聞こえてくるが、その人の本音は、鬱の状態から脱出したくないのだ。その状態にいることを自分で選んでいるから、「そんなこと無理だよ」という言葉を理由にして、状態をキープしているのだ。それはそれで、自分で生き方を選んでいるのだから尊重すべきだと思うが。