『降霊会の夜』 浅田次郎

死んでいる者も、生きている者も、呼び出すことができる降霊会で、真っ先に思い浮かべたのが、可哀そうなキヨという男の子のことだった。

キヨにまつわる人達が、一人ずつ呼び出され、独白が始まる。

まずは、キヨのことをいつも交番で見守っていた若い巡査

なぜキヨはあんな死に方をしなければいけなかったのかという苦悩が語られる。

どうして!血を分けた子供じゃないか。顔つきも体つきも、ふとしたそぶりまでうりふたつの、紛れもない親子じゃないか。どうしてその命を、パチンコ代や酒の飲みしろに替えることができるんだ。

次に呼び出されたのは、キヨの父親

貧乏をしている自分たち家族に対するキヨの質問に、はぐらかしたように答えると、二度と同じ質問をしてこなかった。親が答えられないと察すれば、二度と「どうして」とは訊ねないのだ。

キヨは頭のいい子だから、「まずは一稼ぎしなけりゃ」の父親の一言で全てを察っする。

そんな頭のいい子だからこそ、鬱陶しかった。

いよいよ、キヨがやってきた

自分をいつも気にかけてくれる憧れのかっこいい交番の巡査さんとお話しするうちに、つい父親が自分にしていることを勘づかれてしまう。

もしここで、巡査さんに何もかも打ち明けていれば、父親に殺されずにすむのに、「お父さんが捕まるのはいやだ」と、自分を殺そうとしている父親をかばい、親のためにダンプカーに身を投じる。

そして最後にキヨの母親

ニコヨン(百円を2個と4、つまり240円)と呼ばれる、日雇い労働者だった。
工場での仕事中、息子さんが大変なことにと呼び出される。
何があったんだろう。病院ではなく、警察に?ということは誰もけがなんかしていない。病院じゃなくて警察なんだ。
悪い予感を振り切るように、自分を言いきかせるように、走っていく。

これは悪い夢に違いない。長い夢から覚めて、この切ない夢の話を聞いてくれるだろう。

へえ、そうか。しかしおめえもよくよく救いようのねえ女だな。ナニナニ、惚れた亭主は当たり屋稼業で、あげくの果てに腹を痛めた一人息子はダンプに轢かれて即死か。ふつう夢ってえのは、現よりマシなもんだけどなあ。

それなのに、息子を殺した亭主をかばう。「あの人は悪くない」と。

あなたとキヨ坊と暮らしていけるのなら、貧乏は同じでもかまわない。

呼び出されたキヨの魂が叫んだ。「おかあさん!」

貧乏のため、子供を手にかけなければならないほどに追い詰められた悲しい家族だった。

それなのに、誰ひとり恨むことなく、やっと家族があの世で一つになれた。

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